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【医療】 携帯の振動や、肩を叩かれただけで性的快感…「感じやすすぎる病気」に注意

111.jpg 1 名前:☆ばぐた☆HN変えられ中@2ちゃん敏腕記者「ばぐ太」って何者だφ ★ 本日のレス 投稿日:2006/12/04(月) 17:01:33 ???0
・セックスをしてもオーガズムを感じない女性の話を聞いたことがある人は多いはず。
 そのような状態を「不感症」や「冷感症」というのだが、性欲はあるのにオーガズムを
 感じない場合が「不感症」、性欲そのものを感じない場合が「冷感症」なのだとか。
 医学的にはこの2つの症状は「性的快感消失症」として括られ、「性的欲求低下障害
 (HSD)」として分類されるんだって。

 不感症や冷感症の原因の3分の1は遺伝とも言われているけど、半分以上は人生経験や
 環境、人間関係などによる後天的な要因によるものなんだそう(先天的な場合もあるけど)。
 またオーガズムを感じられなくて悩んでいるのは女性だけなのかと思っていたら、男性にも
 いるみたい。世界で最も広く利用されている医学手引書『メルクマニュアル 第17版 日本語版』
 によれば、性的欲求低下障害は「女性の20%、男性の10%に発生する」と書かれている。

 イクことができなくて悩んでいるケースは雑誌などでもよく取り上げられているけど、
 逆にイキすぎて・・・オーガズムを感じすぎて悩んでいる人もいるって知ってた?
 これ、「持続性性喚起症候群(PSAS)」という病気なのだが、とあるサイトの体験談によると、
 電車の揺れにいちいち反応して快感を覚えてしまったり、肩を叩かれたり携帯電話がポケットの
 中で振動するだけでイッてしまうのだとか。つまりHな気分になっているわけではなく、ただ
 日常的な行動をしているだけなのに、性的な快感を覚え続けてしまうというのだ。

 PSASは2001年に初めて報告された病気で、患者の数や症例も少ないことから、今の
 ところ治療法は見つかっていないそう。原因は精神的な問題や薬の副作用、骨盤血管の
 異常・・・など、いろいろ言われているが、はっきりしたことはわかっていない。


 公衆の面前で性的快感を抑えられないのだから、この病気を患っている女性はかなりの
 精神的ダメージを被っていそう・・・。これを読んで「もしかして私、PSASかも・・・?」と
 思い当たった方、医師に相談したほうがいいですよ!
 またPSASや不感・冷感症の疑いがあるかもと思った女性は、まずは婦人科で診察を
 受けてみて。(一部略)
 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2805457/detail

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先に臨終を迎えた妻と手を繋いだまま昏睡に落ちた夫が手をほどかれた30分後に臨終を迎える

byoushitsu2-260_350a.jpg 1 名前: ◆HEN/WWheCs @変態仮面φ ★ 本日のレス 投稿日:2006/12/04(月) 01:04:41 0
オンタリオ州セントトーマスで、ごくごく平凡に暮らしてきたベーカー夫妻は、妻のドロシーさんの方が夫のグレンさんより6つ年上だった。
妻がどこかへ行くときには必ず夫が付いて来る――そんな夫婦だった。いつも一緒にいる二人だった。

1946年にダンスホールで出会ったときからして、グレンさんはドロシーさんの“後を追い”続けてきた。
そのときグレンさんは、ダンスホールで偶然見かけたドロシーさんに一目惚れしてしまった。
ダンスに誘ったが最初は断られた。でも、彼はあきらめることなく、ドロシーさんの後を追った。
根負けしたドロシーさんは、結局、ダンスの誘いに応じた。これが二人の馴れ初めだった。

翌1947年の6月に晴れて夫婦となった。夫妻は、グレンさんのホームタウンであるセントトーマスに居を構えた。
ドロシーさんは、いくつかの会社で事務員として働いた。グレンさんは、30年にわたってデパートの家具売り場で働いた。
二人の間に生まれたのは、娘のリンさんただ一人である。

一人娘のリンさんが成人した後、旅行好きなドロシーさんが海外旅行に出かけるときは、必ずグレンさんが嬉しそうに付いて行った。
そうして二人で世界中を旅してきた。

定年後のグレンさんは、家の中でいつもドロシーさんの傍にいたがった。
ドロシーさんが付いて来てくれないと、外出したがらなかった。

しかし、ドロシーさんは老いと共に持病の肺疾患が悪化していった。
今年の11月5日、ドロシーさんは体調を大きく崩してセントトーマス病院に入院した。
彼女の肺はもはや治療可能な状態ではなく、緩和ケアを受けることになった。

家に残されたグレンさんは、その2日後に体の不調を訴えて同じくセントトーマス病院に運ばれるが、翌日に退院する。
だが、体調が戻らず、11月14日に再入院することとなった。

緩和ケア病棟に入院したドロシーさんは、ますます容態が悪くなり昏睡状態に陥った。
別病棟に入院していたグレンさんの方は、意識こそあったが衰弱が進んでいた。

そして、12月1日、いよいよドロシーさんの命の炎が消える時が近づいていることを悟った病院スタッフたちがグレンさんを
ベッドごとドロシーさんの病室に運び込んだ。
そして、意識レベルが下がりつつあるグレンさんのベッドを昏睡状態のドロシーさんのベッドの横にぴったりと寄せて配置した。

グレンさんは薄れゆく意識の中、ドロシーさんの手に自分の手を伸ばし、手を繋いだ。

午後7時、ドロシーさんが息を引き取った。享年88歳。そのとき、グレンさんも既に昏睡に落ちていた。
ナースたちは、亡くなった妻と昏睡状態の夫の手をすぐにほどこうとはしなかった。妻の臨終後2時間にわたって、夫婦の手は繋がれたままだった。

2時間後、ドロシーさんの遺体を安置所に移すためにナースたちが夫婦の手をほどいた。
手がほどかれた直後、グレンさんの容態がみるみる急変した。
30分後、グレンさんは、まさしくドロシーさんの後を追うように息を引き取った。享年82歳。安らかな死に顔だった。

一人娘のリンさんは言う。「両親は互いに尽くし合っていて、深く愛し合っていました。死さえも二人を分かつことはなかったということでしょうね」

ドロシーさんの緩和ケアを担当していた医師の1人は、グレンさんがドロシーさんの後を追うように息を引き取ったことについて、
こんなふうなことを話している。
「旦那さんは奥さんといつまでも一緒にいたかった。その強い思いが二人を天に導いた。医学的にあれこれ説明するよりも、
そう考えて二人の冥福を祈りたいと思います」

リンさんは、衰弱していく父を死に瀕した母の病室に運んでくれたナースたちの思いやりに心から感謝している。
病院スタッフたちにとって、二人の最後を見届けたことは涙なしには語れない体験となった。

緩和ケア担当のシャロン・ベーカー医師(夫婦と同姓だが親戚ではない)は、こう話している。
「その場にいた皆の心に熱いものがこみ上げてきました。愛の絆・・・それがあるからこそ、私たちはこうして日夜この仕事に取り組んでいるのです」

二人の遺体は、セントトーマスの墓地に仲良く並んで埋葬されることになっている。

リンさんは言う。「父は、どんなときも母と一緒にいたがっていました。純粋な愛、真の愛の絆で二人は結ばれていました。
こうして、両親は永遠に二人一緒にいることができるのです。そう考えると、悲しいことではない気がします」

http://rate.livedoor.biz/archives/50322296.html


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